こんにちは、ヨネツキです。
何年か前に、50年代の映画のリバイバル上映を観に行ったら、隣の席が俳優の西島○俊さんだったことがあります。かっこよかったなぁ。西島さんも映画マニアとしてその筋では知られてますよね。
さて、前回につづいて、映画と著作権の話です。
4 むかしの映画の著作権の、存続期間はどう計算するの?
前回は、旧著作権法という100年以上前の法律の話題でおわりましたね。
友人には「え? この話題で引っ張るの?」と呆れられてしまいました。
いまの著作権法(1971年施行)が43歳のおじさんなら、旧著作権法はひいおじいさん。というかもう亡くなってるわけですが、今回のようにむかしの映画の著作権の、存続期間を考えるときにはチョロっと蘇るのでした。
前回のラストでの質問をおさらいすると・・・
小津安二郎監督の『東京物語』の冒頭では、製作会社である松竹のマークと、小津監督の名前が両方でてきます。
しかし、ゾンビ法律こと旧著作権法をみるかぎり、製作会社と監督のどちらを基準にして存続期間を考えればいいのか、一見しただけではよくわからないなあ? どう考えればいいんだろう? というクエスチョンでした。
最高裁は、いわゆるチャップリン事件の判決(平成21年10月8日第一小法廷)で、解決案を示しましたよ。
「著作者が自然人である著作物の旧法における著作権の存続期間については、当該自然人が著作者である旨がその実名をもって表示され、当該著作物が公表された場合には、それにより当該著作者の死亡の時点を把握することができる以上、仮に団体の著作名義の表示があったとしても、旧法6条ではなく旧法3条が適用され、上記時点を基準に定められると解するのが相当である。」
・・・ちょっとわかりにくいでしょうか。
『東京物語』の笠智衆さんなら「ウーム・・・」とボヤきそうです。
ものすごく乱暴に超訳すると、映画のクレジットに監督の名前がドンと出てるのなら、製作会社じゃなくて、監督の死後何年で計算すればいい、ということですね。
(ただ、ここはややこしく、デリケートな問題がありますので、後でくわしくフォローします。)
ひとまず、『東京物語』の著作者=小津監督1人だけ、と仮定して、話を進めましょう。(早く年数の話を終わらせなければ・・・)
5 2度の法改正をへて、存続期間はどう計算すればいいの?
以上をまとめると、小津監督がいつ亡くなったかを調べればよさそうです。
小津監督は1963年12月に逝去されたので、死後38年だと、『東京物語』の著作権は2001年末まで残ることになります。
しかし、ここからが実にややこしい。
『東京物語』の原節子さん風に、「あたし、年取らないことに決めてますから」とか言ってサラリとかわしたいところですが、地道に計算してみましょう。
前回書いたように、1971年に著作権法が今のものに改正(施行)されました。そこでは、映画の著作権は「公表後50年間」存続することになっています。
『東京物語』は1953年公開なので、この計算だと、1953+50=2003年末まで残りますね。
じゃあ、この50年と38年のどちらが優先するのか?
法改正のときにつけられた、附則7条というマイナー条文によると、改正前と、後のパターンを両方計算して、「より長いほう」に合わせることになりました。
昭和45年法律48号附則7条
この法律の施行前に公表された著作物の著作権の存続期間については、当該著作物の旧法による著作権の存続期間が新法第二章第四節の規定による期間より長いときは、なお従前の例による。
『東京物語』の場合は、より長い2003年末ですね。
さらにもうひとつおまけ。
前回のべた2003年の法改正で、2004年以降、映画の著作物の保護期間は、公表後70年に延長されました。
ただ、最高裁がいわゆるシェーン事件の判決(平成19年12月18日第三小法廷)で述べた考え方をもとにすると、2003年末に著作権が切れた作品はこれ以上延長されないことになりそうです。
シェーンも、著作権も、カムバックしなかったのでした。
・・・というわけで、(途中にいろいろ仮定のハナシをいれたので、すっきり断言はできませんが)『東京物語』の場合は、2003年末に著作権が切れたといえるような気がしますね。
6 監督が長生きした場合はどうなるのか?
こうしてみると、小津監督の場合は早くに亡くなったから著作権が早く切れた、といえそうですね。
では、他の監督はどうでしょうか? ちょっと計算ドリル風に検討してみましょうか。
計算ルールは次の6つです。
(1) 今回のコラムでは、旧著作権法の頃に公開された、日本の劇映画に話をしぼる
(2) 著作者は監督1人だと仮定して、監督の死後38年を計算
(3) 1970年末までに、著作権が切れた場合は、著作権は復活しない
(4) 1971年の時点で著作権が存続してる場合は、監督の死後38年と、公開後50年のどちらが長いか比べて、長いほうを採用
(5) 2003年末までに、著作権が切れた場合は、著作権は復活しない
(6) 2004年の時点で著作権が存続してる場合は、監督の死後38年と、公開後70年のどちらが長いか比べて、長いほうを採用
なんやこれ。
自分でいうのもなんですが、ややこしいですね・・・書きながら、マンガ『デスノート』のルールをちょっと思いだしました。
まあ、もっと複雑なルールにしようと思えば、チャップリン作品のように海外作品の戦時加算の話をいれたり、いくらでもややこしくできるのですが・・・
『東京物語』の杉村春子さんなら「もう、イヤんなっちゃうわねぇ!」とグチりそうなこの話、今回はそっとしておきましょう。
先ほどの計算ルールで、ためしに日本の名監督2人を計算してみますか。
1) 黒澤明監督の場合
あの有名な黒澤明監督は、1998年に亡くなっています。
なので、たとえば1950年公開の名作、『羅生門』で計算すると・・
というわけで、2036年末ですね。
ただ、しつこく繰り返しますが、計算ルール(2)で、「著作者は監督1人」という勝手な仮定をいれてるので、もしも黒澤監督のほかに著作者がいるとされた場合はさらに延びるかもしれません。
裁判所も、黒澤監督が「少なくとも」著作者の1人だという言い方をしています(知財高裁平成20年7月30日)。
・・むむぅ。なんだかこのコラムも、『羅生門』と同じように、藪の中へ迷宮入りしそうな気がしてきました。
2) 成瀬巳喜男監督の場合
さらに別の例として、日本映画界の名匠、成瀬巳喜男(なるせ・みきお)監督は、1969年に亡くなっています。
なので、たとえば1952年公開の『おかあさん』で計算すると、
というわけで、2022年末ですね。
最高裁も、少なくとも2022年末まで、と述べていますよ(平成24年1月17日第三小法廷判決)。
成瀬監督といえば、名作『浮雲』(1955)のあの温泉のシーンが名高いですが、私もこんな計算ドリルは投げ捨ててどこかの温泉宿に逃避したくなってきました。。。
7 著作権の仕組みがややこしいと、どんな悪影響があるのか?
さて、いつものように、コラムを書いてるうちにだんだんモヤモヤしてきます。
今回のモヤモヤは何かというと、以上のロジックによると、著作権が切れた映画でこれからビジネスを始めたり、上映会を企画している人たちにとっては、2つのリスクがある、ということです。
1) 計算を間違えるリスク
まず単純に、計算を間違えるリスクがありますね。
ここまでのクドいコラムで、存分におわかりいただけたかと思います。
もし、海外作品の戦時加算というロジックも加わると、さらにややこしくなりますね。
こういう計算は、リクツよりも、一目でパッとわかる図がないと不便です。
文献をいろいろ調べてみましたが、どうも使いやすい図はみつからなかったので、私のほうでチャチャッと作ってみましたよ。パッとわかるかというと・・・
・・・すみません。どうがんばってもこれが限界でした。 後世の研究に期待したいです。Fin。
(なお一応書いておきますが、著作権が切れた映画のビジネスや上映会をお考えの方は、くれぐれも上の図を鵜呑みにせず、弁護士の方にきちんと相談してくださいね。。。)
2) 著作者を見落とすリスク
さらに、しつこく書いてきましたが、監督以外の著作者を見落とすリスクもありますね。
作品によっては、著作者が監督だけとは限らないケースがありえますし、その場合は最後に亡くなった著作者からカウントしなければいけません。
もし微妙なケースになれば、ほかに著作者がいるかどうかは、判決を待たなければわからない場合もありえます。
うーむ、なんとなく、著作権法の第1条に宣言された「文化的所産の公正な利用」への道のりは遠い気がしてきました。
・・・いやー、著作権って、ほんっとうに、難しいもんですねえ。
というわけで、今回はここまで。
次回はいよいよ感動の完結編です。いま書いた2つ目のリスクを掘り下げます。
あの名作『東京物語』に、はたして小津監督のほかに著作者といえそうな人はいるのでしょうか。
「げ、まだ続くの?」と思われたそこのあなたも、ぜひご覧くださいね。
それではまた。
法律ネタの記事など担当。
今年びっくりした新作映画は、アレハンドロ・ホドロフスキー監督の『リアリティのダンス』。
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